昔話 once-upon-a-time story 2005 8 28

 今回の選挙では、
「自民党と公明党で、過半数を取れる。勝利だ」という声を聞きますが、
昔の自民党を知る人間にとっては、「情けない」と思いたくなります。
 昔は、他の政党と連立を組むなど、想像もできなかったのです。
自民党だけで、余裕で、過半数の議席を持っていたのです。
 自民党の「ひとつの派閥」で、大きな野党に匹敵する規模だったのです。
そして、自民党内で、政権交代をしていたのです。
田中党がダメならば、三木党、それもダメならば、福田党へと政権交代していたのです。
 今は、選挙において、公明党(創価学会)の「お世話」になることになってしまったのです。
昔の自民党を知る者にとっては、これは、驚愕の事実そのものです。
 そもそも、かつての自民党は、政教分離というテーマで、
散々、公明党を攻撃していたのです。
そして、自民党は、創価学会の名誉会長を、国会で喚問しようと考えていたのです。
 やはり、選挙において、敵の敵は、味方なのか。
今の時代、「矜持(矜恃)」(self-worth)という言葉は、死語になってしまいました。

選挙戦 election race 2005 8 18
 選挙戦は、甘くはない。
こうしたことは、無風区の議員には、わからないでしょう。
 実は、私の祖父は、衆議院議員の後援会の幹部だったのです。
その選挙区は、いつも激戦区でした。
 何があるか、わからない選挙戦、想像もできないことが起きます。
たとえば、選挙運動員が、敵陣のスパイだったということは、よくあります。
ある代議士の陣営では、後援会の、昔からの中堅幹部が、敵のスパイだったことが判明し、
選挙戦が、大混乱になったことがありました。
 こうした激戦区の選挙戦で、学んだことは、ひとつあります。
「敵の敵は、味方であること」。
 私は、青年時代、政治家を目指したことがありましたが、
地獄のような選挙戦を見て、やめました。
本当に、地獄の底を見るようなものです。
 そういうわけで、選挙責任者には、激戦区の議員がなるべきです。
「無風区の議員」や「選挙が弱い議員」が選挙責任者になると、最悪です。









































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